2025年2月11日(火)に行われた、第34回山梨民医連 学術・運動交流集会で、やまなし勤労者福祉会の職員が「能登半島地震 支援報告」を行いました。

能登半島地震から3ヶ月、現場で見た「復興の現実」と福祉施設の過酷な状況
2024年3月25日~3月29日に、やまなし勤労者福祉会の職員2名が、石川県輪島市門前町にある介護施設へ支援に行きました。
輪島の朝市通りから30Kmほど離れた門前町。町に入った途端、道路の隆起、崩れた家々、ブルーシートの屋根…。復旧の気配はまだまだ遠く感じました。

遅れた支援、見にくい福祉現場
支援に伺った介護施設では、利用者と地域の方35名を受け入れ、段ボールベットで生活されてました。水は川から汲んで、WOTAという手洗い機でしのいでいました。

電気が戻ったのは1月中旬、水道は3月中旬。それまで施設の職員さんたちは炭火で食事を作り、ほぼ寝泊まりで対応していました。
設備も十分ではなく、認知症の方の症状悪化や、ターミナルケアを行う場面もありました。プライバシーや人権の面でも、深刻な状況でした。
全国からの支援と課題
私たちが支援に入った26日からは、老施協(全国老施協)やDCATの介護・看護職員も全国から支援に来られていました。ただ、行政の支援は物資のみで、現場の人手や精神的なサポートはまだまだ不足している状況でした。
ボランティアが来てくれたことで、やっと職員が家に帰れるようになった、と施設の方が話してくれました。でも、施設長さんは今も泊まり込み…。「食べないとダメ」「なんとかなるって言い聞かせてやるしかない」そんな言葉がとても印象的で、胸に刺さりました。
最後に…
支援活動を通じて、「いま、目の前の命を守る」ことの大切さと同時に、災害時に福祉施設がどれほど過酷な状況に置かれるのかを、身をもって体感しました。復興の現場には、まだまだ人手と支援が必要です。そして、そこにいる職員や利用者の「日常」を取り戻すためには、もっと多くの社会的関心と支援が不可欠だと分かりました。
今回の経験を通じて、私たちができることはまだあると強く感じました。今後も、できる支援を続けていきたいと思います。

